宮崎ブーゲンビリア空港の名前に込められた想い
近年、日本各地の空港は、単なる地名を冠した名称ではなく、その土地の魅力を伝える名前へと変化しています。例えば、高知の「高知龍馬空港」は、坂本龍馬の偉業を讃えたもの。鳥取の「鳥取砂丘コナン空港」は、名探偵コナンの原作者が鳥取出身であることに由来します。そして宮崎もまた、「宮崎ブーゲンビリア空港」という美しい名前を持つ空港として知られています。
しかし、この名前がつけられた背景には、ある人物の深い想いが込められていることをご存じでしょうか?
宮崎の観光を支えた男、岩切正太郎
宮崎が観光地として栄えたのは、今から約50年前のこと。当時、新婚旅行の聖地として全国から多くの人々が訪れていました。その観光地化を牽引したのが、宮崎交通や宮崎空港の創設者である 岩切正太郎 氏です。
彼は「宮崎の大地に絵を描く」という理念を持ち、景観をデザインするように街を整備していきました。「ここにこの木を植えれば、より美しい風景になる」と、宮崎全体をまるで一枚の絵画のように仕上げていったのです。その結果、宮崎は南国情緒あふれる観光地へと変貌しました。
そんな岩切氏には、一つだけ 心残り がありました。それは、宮崎の地に「ブーゲンビリア」を咲かせることでした。
叶わなかった夢、そして奇跡
ブーゲンビリアは南国を象徴する美しい花。しかし、宮崎の気候ではなかなか根付かず、何度も品種改良を試みたものの、岩切氏はついにその夢を叶えることができませんでした。
そして晩年、彼はある 不思議な夢 を見ます。夢の中に観音様が現れ、「あなたの願いは確かに受け取りました。もう安心して旅立ちなさい」と告げたのです。目を覚ました岩切氏は、「自分の夢は託された」と安堵し、その数日後に息を引き取りました。
すると、亡くなった数ヶ月後から 宮崎の地でブーゲンビリアが咲き始めた というのです。まるで、彼の想いが空へ届き、奇跡が起きたかのように。
宮崎ブーゲンビリア空港に込められた願い
宮崎の県花といえば「ハマユウ」、シンボルツリーは「フェニックス」。それならば「宮崎フェニックス空港」という名称でも良かったはずです。しかし、空港の名前に「ブーゲンビリア」が選ばれたのは、この 岩切氏の想い が深く関係していたのかもしれません。
現在、宮崎ブーゲンビリア空港の周辺では、この鮮やかな花が美しく咲き誇っています。もし宮崎を訪れる機会があれば、ぜひこの花を見上げてみてください。そして、その背後にある 「宮崎の大地に絵を描いた男」 の物語を思い出していただけたら嬉しいです。
宮崎の美しい風景とともに、ブーゲンビリアの花がこれからも多くの人の心を彩りますように。
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