【実家がなくなって気づいたこと】
みなさん、感謝してます! 今日は長野の諏訪湖に来ています。 せっかくの景色をバックにお話ししようと思ったのですが、逆光で顔が真っ黒になってしまうので、少し場所を変えてお話ししますね。
今回のテーマは**「実家がなくなって思うこと」**。 ちょうど1年前、私の実家がなくなりました。 宮崎の田舎にあった、生まれ育った
実家がなくなるというのは、寂しいものです。 でも、この1年を振り返ると、それは自由を手に入れるきっかけにもなったのだと気づきました。
実家を手放した理由
私は長男なので、実家を継ぐのが暗黙の了解だったと思います。 でも、両親は
理由のひとつは、宮崎の田舎は車がないと生活できないこと。
- スーパーまで15km
- 病気
そんな環境では、高齢になって車を運転できなくなると、生活が成り立たなくなります。 だから、両親は元気なうちに街中へ引っ越そうと決めたのです。
私は「本当に後悔しない?」と何度も聞きましたが、両親は全く後悔していませんでした。 むしろ、新しい生活を楽しんでいるようで
もし自分が引き継いでいたら?
私が引き継いでいたら、きっと絶対に手放せなかったと思います。
- 先祖代々の土地(少なくとも明治時代から続く家)
- ご先祖様に申し訳ないという気持ち
- 長男としての責任感
これらがあったからです。
でも、両親が売ってくれたからこそ、私は自由になったのだと気づきました。
「フリーダム
実家がなくなったことで、私は初めて「どこにでも行ける」という感覚を持ちました。
両親が生きている間はしっかり面倒を見ますが、彼らがいなくなった後は——
「あれ? 俺、どこに住んでもいいんだ」
そんな選択肢が生まれたのです。
もし、実家を手放さなかったら、私はその土地に縛られ、過疎化が進む中で寂しく暮らしていたかもしれません。 でも、新しい買い手が見つかるタイミングで手放せたことは、結果的に**とても良い決
何が幸いするか分からない
最初は寂しかった。 でも、今は「良かった」と思える。 人生って、本当に面白いものですね。
ということで、今日は実家がなくなって気づいたことについてお話ししました。 それでは、最後にもう一度、巣湖の景色をお届けします。
ありがとうございました!
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