職業訓練校を始めることになったきっかけ

職業訓練校を始めたきっかけ

感謝してます、マスターです。

今日は、私が講師を務めている職業訓練校「心と体と美のトリニティスクール」を開校するに至った経緯をお話しします。

学校の誕生

この学校は2011年3月に開校し、今年でちょうど13年目になります。これまで3カ月コースや半年コースを開催し、コロナ禍での休校期間もありましたが、これまでに約20期、200人以上の生徒たちが卒業していきました。

きっかけは偶然の講師依頼

2010年頃、私はこの職業訓練校の存在すら知りませんでした。しかし、ある日、友人から「講師として話をしてくれないか」と依頼を受け、職業訓練校で初めて講師を務めることになりました。

その授業では、外部講師として様々な職業の人が招かれ、就職を目指す人々に新しい世界を紹介するというものでした。私は「こんな素晴らしい学校があるんだ!」と衝撃を受けました。

友人から「今、厚生労働省が職業訓練校を支援していて、新しく参入しやすい状況になっている」と教えてもらいましたが、そのときは「自分にはできない」と思い、すぐには行動に移しませんでした。

周りが次々と参入し始める

しかし、その後、私の知り合いや友人たちが次々と職業訓練校を開校し始めました。さらには、私の店で働いていたスタッフまで講師として呼ばれるようになり、まるで「お前もやれ」と言わんばかりの状況になりました。

「そんなに多くの人が始めているなら、自分もやるべきなのか?」と考えるようになり、ついに話を聞きに行くことを決意しました。

運命の大雨と最終受付日

その話を聞きに行こうと思った日は、ものすごい大雨でした。「別の日にしようか」と一瞬思いましたが、なぜか強く突き動かされ、意を決して向かいました。

すると驚いたことに、その日が職業訓練校の申請受付の最終日だったのです!もし行かなかったら、この学校は存在していなかったかもしれません。

開校に向けた準備と試練

申請を済ませたものの、実際に開校するには数多くの書類を揃えなければなりませんでした。さらに、学校を運営するための適切な会場を見つける必要もありました。

しかし、その当時、職業訓練校の開校がブームになっていたため、条件に合う物件はほとんど埋まっていました。何軒も不動産屋を回りましたが、どこも「トイレが1つしかない」「広さが足りない」などの理由で適合しませんでした。

最後の最後に見つけた「運命の場所」

最終受付日まであとわずか。もう諦めかけていたそのとき、たまたま目に留まった小さな不動産屋に飛び込みました。

すると、担当者が「1つだけ条件に合う場所がありますが、少し訳ありです」と紹介してくれました。見に行くと、そこはトイレも2つあり、駐車場も完備されている完璧な物件でした。

「訳あり」とは、事務所スペースの一部が雨漏りするという点でした。しかし、それは大雨のときに壁伝いに水が流れる程度で、修繕できる範囲の問題でした。

神様の導き?

そして、何よりも驚いたのは、その場所が宮崎神宮の大きな鳥居の横だったことです。

私は「これは神様の仕事だ」と直感しました。厚生労働省の認可を受ける学校でありながら、これは神様からの依頼なのではないかと感じたのです。

東日本大震災と開校

こうして、2011年3月27日に開校することが決まりました。しかし、そのわずか2週間前の3月11日、東日本大震災が発生しました。

日本中が悲しみに包まれ、自粛ムードが広がる中、「この状況で開校していいのか?」という不安もありました。しかし、私は思いました。

「今こそ、癒し人を育てるときだ。未来に希望をもたらす学校を開くことこそ、今の日本に必要なのではないか。」

天職とは何か?

この学校を始めたことで、私は多くの学びとプレゼントを受け取りました。

仕事には「向いている」「向いていない」と考えることがあります。しかし、私にとってこの学校は、まるで運命に導かれるように始まったものでした。

それは、自分で選んだというよりも、向こうから勝手にやってきたような感覚です。

「これを転職と呼ぶのだろうか?」

気づけば、この仕事が大好きになっていました。

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今日は、私が職業訓練校を始めるに至った経緯をお話ししました。

また別の機会に、この学校を通じて得た学びについてお話ししたいと思います。

最後まで読んでくださって、ありがとうございました!

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